(はねだおおとりい/東京都大田区羽田)
取材日:2003年9月13日
この大鳥居は穴守稲荷神社がまだ羽田穴守町にあった昭和初期に、その 参道に寄付により建立されたと伝えられています。 その後、終戦とともに進駐した米軍により、羽田穴守町、羽田鈴木町、 羽田江戸見町の地域一帯に居住していた人々は強制退去され、建物はす べて取り壊されました。しかしながら、この大鳥居だけは取り壊しを免 れて羽田の地に残され、往事を物語る唯一の建造物となりました。 米軍から施設が日本に返還された昭和27年7月、東京国際空港として 再出発した後も、この大鳥居は旅客ターミナルビル前面の駐車場の一隅 に残され、羽田空港の大鳥居として航空旅客や空港に働く人々に親しま れました。また、歳月を重ね風雪に耐えた大鳥居は、進駐軍に強制退去 された元住民の方々の「心のふるさと」として往時を偲ぶ象徴となりま した。昭和59年に着手された東京国際空港沖合展開事業により、滑走 路や旅客ターミナルビル等の空港施設が沖合地区に移設され、大鳥居も 新B滑走路の整備の障害となることから、撤去を余儀なくされることと なりました。しかしながら、元住民だった多くの方々から大鳥居を残し てほしいとの声が日増しに強まり、平成11年2月、国と空港関係企業 の協力の下でこの地に移設されたものです。 (以上、大鳥居の由緒碑より転載) |
白魚稲荷から空港の方に向かって少し歩くと「弁天橋」があります。それを渡ってすぐ
にあるのがこの赤い鳥居ですこの鳥居は実に数奇な運命をたどっており、様々な状況を
経て現在のこの地に落ち着いた経緯があるようです。特に戦後の混乱や空港整備など、
時代の影響を最も強烈に受けてしまった鳥居なのです。 向こうに見えるのが羽田空港です。 |
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逆光でよく見えませんが、鳥居の額には大きく「平和」と書いてあります。この鳥居の存在意義を強く物語っています。 | |
その大鳥居の足下にも、小さな狐がいました。だれが手向けたのでしょうか。住民の心意気が感じられますね。 |