長森稲荷

(ながもりいなり/川崎市多摩区東生田2丁目)

取材日:2007年2月21日
奉納日:2007年2月23日

小田急線向ヶ丘遊園駅から徒歩5分程度。駅から府中街道を横切り、民家園に向かう坂道を登っていくと、その道路脇にひょっこり見えてくるお稲荷さんです。規模も小さく立派な造作があるわけでもないのですが、調べてみると由緒のある稲荷であることがわかりました。この周辺の土地にも、古い歴史がありました。

向ヶ丘遊園駅から古民家園に向かう坂道を登っていくと、左手にひょっこり現れるのがこの小さな稲荷です。大きなご神木と石の鳥居、それに真っ赤に塗られたお社は、なんともパラっとした感じで神社独特の、しんとした雰囲気はあまりありません。
隣にある建物は、この地区の集会所のようです。
鳥居から正面を見ても、ご覧のように、集会所がお社への参道を邪魔しているようにも見えます。今までに、あまり見たことのない状況です。
集会所には「飯室会館」とありますから、このあたりの地区名は「飯室」と言うのでしょう。実際、この近くには標高80mの「飯室山」という小高い山があります。現在はここの住所は「生田」となっていますが、古くはきっと飯室という地区名だったのでしょう。
鳥居の陰にあった石碑を見ると明治36年という年号が見えます。しかし、調べてみると、この稲荷はもともと伏見稲荷から江戸、今の六本木あたりに勧請されていたものを1740年にここに遷したもので、当時は江戸からの参拝客も多かったそうです。
お社は、このとおりとてもビビッドな赤。それも全面が。昔からこうだったのかはわかりませんが、少し赤すぎるように思うのは私だけでしょうか。土台のコンクリートは真新しいもので、ごく最近整備したようです。
境内には石狐は見当たりませんでしたので、いつものように、お社の中をフラッシュ撮影してみました。すると、そこはまさに稲荷ワールドでした。
左右に白狐の眷属を配し、中央には意味ありげな掛け軸が掛けられています。供え物や榊の様子から、きちんと祀られているのがわかります。
奥にはちびっ子狐もたくさんいます。この暗い社の中でいつもどんな話をしているのでしょう?
これが右側の白狐。耳がぴんと立って、細い不思議な目でこちらを見ています。口には稲穂を咥えています。
足元には子狐でしょうか、小さな狐が跳躍しています。こちらも稲穂を咥えています。土台には緑色が彩色されていて、これは豊穣な畑をイメージさせているのでしょうか。
左手の狐は鍵を咥えています。こちらの足元にも小さな狐がいますが、こちらは座って上を見上げています。でも、白くて、しなやかで、素敵な狐さんですね。
狐の手前にはんな木箱がありました。そして、その蓋には「正一位稲荷大神璽」と書いてあります。「神璽」(しんじ)というのは、京都伏見稲荷から勧請される時に授けられるもので、暖簾分けの印のようなものです。中には四角か八角の木の柱が入っているらしいです。ちょっと見てみたいですね。
天井から吊るされた堤燈には「長森稲荷大明神」とあり、これがこの稲荷の名称を表す唯一の表示でした。
【生田緑地】
さて、この地はとても古くから人が住んでいた土地ということですが、長森稲荷のある場所からすぐ近くには、このような緑地(生田緑地)があります。ついでなので、入ってみることにしました。
入り口からこのような坂道が延々と続いています。すぐ側を車や電車が通っていることを忘れてしまうような風景が広がります。
息を切らして上り切ると、ようやく到着するのが「飯室山山頂」。山頂といっても飯室山の標高は80m。それでも、この眺望はなかなかのものです。
飯室山の頂上はちょっとした広場になっていてこんな看板が立っています。ここからさらに歩くと、枡形山に至り、その先には日本民家園などもあります。
この飯室は古くから人が住ん<でおり、このような横穴式の古墳がいくつも見られます。これは「長者穴横穴古墳群」と呼ばれ、7、8世紀頃のものだそうです。

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