(のぼりとちんじゅいなりしゃ/川崎市多摩区登戸)
取材日:2007年2月21日
奉納日:2007年2月21日
小田急線登戸駅から徒歩10分程度、JR南武線と世田谷通(津久井道)が交差するところにある、けっこう大きな稲荷社です。一見、熊野神社かと見紛うこほどの立派な社で、あまり稲荷独特の赤いものはありませんが、とても由緒ある稲荷のようです。それに、ここには石狐以外にも素晴らしい芸術作品がありましたよ。 |
嘗ての参道かどうかわかりませんが、社や鳥居の正面にある道路から撮った稲荷の全景です。右端に見える橋のようなところが津久井道で、向こうに行くと多摩川です。ちょっと見にくいのですが、右上に大きく伸びた大木の下には小さなもうひとつの稲荷があります。 | |
これがその小さな稲荷です。登戸稲荷の末社かというとそうではなく、別の敷地になっています。その由緒についてはわかりません。 鳥居の手前にある石碑には「正一位福徳稲荷大明神」とあります。この稲荷は福徳稲荷というらしい。 |
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福徳稲荷のお社です。小さくて地味ですが、その造りはなかなか立派で、堂々としています。両側の赤い灯篭が粋な感じですね。江戸の町にある稲荷みたいです。 | |
お社の扉が開いていたので、中を覗かせてもらいました。すると、中にはかわいい眷族たちがちゃんとお社を守っていました。両側の榊も瑞々しいところを見ると、毎日きちんとお祀りされているようです。しあわせなお稲荷さんですね。 | |
さて、こちらが登戸鎮守稲荷社の正面の大鳥居です。境内には数本の大木があり、いかにも神社らしい風情です。 それに、手前を歩くお婆ちゃんは、神社には欠かせないキャラです。いいタイミングです! |
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大きな石の鳥居に掛けられた神額です。そこには「稲荷社」としか記されていません。この時点ではまだ、この稲荷の正式な名称は不明のままでした。 | |
鳥居の陰には石の灯篭と石狐が隠れるようにあります。灯篭の周囲には頑丈なステンレスの囲いがありました。これはたぶん、盗難防止ではなく地震などによる転倒を防ぐためのものでしょう。意図は理解できるのですが、なんとも無粋なものですな。 | |
石灯篭の基台には、このように見事な狐の彫り物がありました。尻尾をくるりとまきつけて、後ろを振り向いているしなやかな狐です。尻尾の膨らみがいかにも狐らしくてかわいいです。 | |
これが反対側のレリーフ狐です。陰影が強くて見にくいですが、小さな子狐がじゃれついているのがわかるでしょうか?小さい手がかわいいです。 | |
そして、これがここの石狐です。だいぶ古そうで風格があります。身体も苔むしています。耳と口元は折れてしまっているのが残念ですが、全体的にとても素敵な造形です。 | |
足元にじゃれつく子狐です。尻尾を母親狐に巻きつけているあたりは、甘えん坊なのでしょうか。母親が子供を守るように手を添えています。 | |
親狐の頭部を拡大すると、このように、かなり痛みが激しいことがわかります。耳だけではなく後頭部までもが削られてしまっています。長い年月を感じさせると同時に、とても残念です。 | |
背面から見ると、この狐の作者の造型感覚や技量が優れていたことがよくわかります。いかにも中にあばら骨がちゃんとあるみたいです。 | |
これは反対側の狐です。こちらは前足に宝珠を持っています。右のものよりもちょっといかつい感じがします。雄なのでしょうか。 | |
宝珠の拡大です。それにしても、稲荷によく見るこの宝珠というのは、どういう意味があるのでしょう? | |
こちらの頭部もかなり破損しています。口元はほとんど残っていません。でも、耳が少しだけ残っており、形状や大きさが、なんとなく想像できますね。全部残っていればきっと素敵なお狐さんの顔でしょうね。 すっと伸びた切れ長の目が魅力的です。 |
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狐の基台に刻まれていた年号によると、これは明治32年に造られたようです。明治32年というと、約100年近く前のものということになります。 | |
そして、これが石狐に勝るとも劣らない素晴らしい芸術品です。「鏝江(こてえ)」と言って、昔の左官職人たちが自分の腕前を示すために漆喰の壁に描いたレリーフです。これは波間に現れた1匹の龍を描いたものです。 | |
これだけのものを壁塗り用の鏝(こて)1本で作るのですからすごい技量です。まるで生きているような龍です。 | |
龍の表情さえも、きっちりと表現されているのがわかりますね。すごいです。それにしても手前にガラスがあるのが残念です。 | |
境内にはこのような看板がありました。これによると、登戸にはたくさんの左官職人がいて、江戸にまでその評判が伝わっていたということです。これであの素晴らしい鏝絵があった理由がわかりました。 | |
これはやはり境内にあった碑の一部ですが、ここに「登戸鎮守稲荷社」と書いてあります。この稲荷社の固有名称らしい表示は、これしかなかったので、これを一応の名称として使いました。 |