(ふねしまいなり/川崎市多摩区宿河原1丁目)
取材日:2007年2月7日
奉納日:2007年2月9日
小田急線登戸駅から徒歩10分程度の、多摩川沿いにある稲荷です。比較的広い境内は、かつて洪水によって流され後年地元の氏子たちによって再建されたものだそうです。このあたりは多摩川散歩コースにもなっており、桜の季節には大勢のハイカーでも賑わうようです。 |
多摩川の土手に沿って細長く伸びた境内の全景です。中央にはお社に向かって参道が続いています。すぐに左手は多摩川が広がっており、開放感のある神社です。地面は細かい砂地でした。 | |
入口の右手にはこの稲荷の名称を示す石碑が立っており、「正一位船島稲荷大明神」と記されています。「船島」を「ふねしま」と読むのか「ふなしま」なのか「ふなじま」なのか定かではありません。 | |
これが一番目の鳥居です。石で造られていますが、とても立派できれいな鳥居です。典型的な「明神鳥居」の形式です。 | |
これは二番目の鳥居に掛けられている神額です。そこにも稲荷の名称がくっきりと彫られていました。 | |
入口の左手には、小さな石の祠があります。そしてそこには、以前紹介ことのある御嶽神社のお札が置いてありました。東京青梅の御嶽神社のもので、狼が眷属です。 | |
お札のアップです。かつて横浜市内で撮影したものと同じものでした。描かれているのは明らかにオオカミの姿です。これは、この船島稲荷の摂社と見るべきなのでしょうか? | |
洪水後に再建された社だけあって、コンクリート製の頑丈そうなお社です。これなら、周囲の木が流されても、お社だけは残りそうですね。 そして、その両側には眷属のおきつねさんたちが座っています。赤い前掛けが目を引きます。 |
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これが手前右側の狐。あまり見たことのない造型です。母狐なのでしょう、前脚には子狐がじゃれています。> | |
顔はまん丸で、折れたのでしょうか、両耳がありません。それで、なおさら顔の丸さが強調されています。目の彫りも独特で、比較的浅い彫りになっています。鼻先も折れてしまっています。まさか洪水にせいではないでしょうね。 | |
前足元の子狐です。尻尾をくるりと丸めています。その子狐の背中には、母狐の前脚がやさしく置かれています。 | |
こちらは左手の狐です。その前脚には宝珠が抑えられています。それにしても、たくさんの前掛けが何重にも着せられていて、信仰の厚さを感じさせます。 | |
足元をよく見ると、狐にしては、異様に強大な爪が表現されています。こうした大きな爪の表現は、たまに見るのですが、眷族としての強さの表現なのでしょうか? | |
これはお社に最も近い列の右側の狐です。こちらもやはり足元に子狐がじゃれています | |
この狐も耳が欠けているのでどうも狐らしくありません。なんだかアシカみたいです。 | |
子狐は小さな前脚を、母親の尻尾にのせて、こちらをちらりと見ているようです。なんとなくやんちゃな様子がうかがえます。 | |
これは左手の狐です。手前の狐同様、足元には宝珠があります。 | |
こちらも耳がありません。口元も折れていて、痛々しいのですが、無理に補修していないのもいいものです。それにしても、この狐たちの耳はどのような形をしていたのでしょうね? | |
足元の宝珠の彫りは、なかなかシャープで素敵です。よくみると、宝珠の左奥手には狐のチンチンが見えます。確かにオスです。 | |
これはお社に掛けられた神額です。金色が鮮やかで、とても立派ですね。 | |
お社の欄間には、狐が彫り込んでありました。とてもしなやかな二匹の狐が描かれています。よく見ると、前の狐の首には稲荷の炎印が、そしてその先には、稲穂を束ねたものも描かれています。豊穣を願った絵柄なのでしょう。 | |
お社の扉には、このようにワラジがくくりつけられています。この稲荷には、ワラジにまつわる言い伝えがあり、足の怪我などはこのワラジを持って帰ると早く治るのだそうです。そして御礼に新しいワラジを下げて帰るのだとか。それでこの稲荷を別名「沓稲荷(くついなり)」と呼ぶのだそうです。 | |
境内に沿った歩道からの風景です。お社の手前にも木の祠があります。それに、歩道側から入ることが出来る赤い鳥居もあります。その向こうは多摩川になります。 | |
この石碑には、見難いですが「稲荷社沓堂跡」とありました。沓稲荷にちなんだお堂でもあったのでしょうか? |