(ほうえいいなりじんじゃ/山形県山形市宮町五丁目)
取材日:2003年8月10日
神社そのものの由来を示すものはなかったが、このあたりはかつて
「伊賀町」と呼ばれていたらしい。最上義光公の城下町以来の町で
諜報、火防等の任に当たる13人の伊賀衆が居住していたところ
から、この町名がついたらしい。狐信仰には「火」がつきもので
あるから、そんな関係もあるのかもしれない。これは勝手な想像。
私が数十年前に通っていた保育園のすぐ近くにあるこの神 社は住宅街の中に忽然と姿を現す。ここだけ異空間。お決 まりの赤い鳥居が「これでもか」と言わんばかりに稲荷を 主張している。 | |
鳥居から見る祠。注連縄もあり、一応のセットにはなって いるのだが鳥居、祠とも新しいせいか、どうも威厳という ものが感じられない。それに、鳥居の手前は「ゴミ の分別収集所」になっているらしく、これはどうにもいた だけない。もうちょっと大事 にして欲しい場所なのに。 | |
真新しい額には、くっきりと「伊賀町、豊栄稲荷大神」と 記されている。なかなか、立派。 | |
ここも扉から中をうかがうことができなかったので、カメ
ラのレンズを無理矢理小さな穴に押しつけて、中の撮影を
試みた。 すると。いましたよ、いつもの瀬戸物の狐が。それに、そ の左手には、丸い鏡がこちらの光が反射して光っている。これも、神の力の象徴だ。 |
|
漆喰がきれいに塗られた祠の背面。山陰の祠の背面には必 ずといっていいほど存在する「狐穴」だが、関東や山形で はまず、見られない。ここでも裏に回って見てみたが、や はりそれらしい「狐穴」は無かった。 | |
先に書いた町の謂われは、この説明書きに基づいている。 昔、わざわざ三重県から、たぶん忍者の一派であったろう 「伊賀衆」を呼び寄せたなんて、とってもおもしろい。忍 者って、今で言う「自衛隊」みたいな存在だったようだ。 (これは勝手な想像) |